無料公開 <訃報>財界さっぽろ掲載 〝メイショウ〟松本好雄オーナー追悼インタビュー「人がいて・馬がいて・そしてまた人がいる」という信念
松本好雄氏
日本の競馬界が悲しみにくれている。 “メイショウ”の冠名で親しまれている馬主の松本好雄さんが8月29日未明、膵臓がんのため死去した。月刊誌「財界さっぽろ」(2017年3月号)ではかつて、馬産地・日高の特集で松本さんにインタビューを行った。その内容は競馬への愛に満ちていた。松本さんが明かす武豊騎手の素顔、引退が決まっていた武幸四郎騎手、石橋守調教師への思い、そして「人がいて 馬がいて そしてまた人がいる」の真髄とは――以下、インタビューを再録。馬名や肩書は当時のまま。心より哀悼の誠を捧げます。
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JRA開催日、「メイショウ」の馬が出走しない日はない。名門オーナーの松本好雄氏は「人がいて 馬がいて そしてまた人がいる」という信念で、日高の中小牧場から年100頭以上購入している。日本競馬界の重鎮が、愛馬との秘話、日高への熱い思いを明かした。
武豊は日本の競馬界の〝宝物〟
松本好雄氏は1938年、兵庫県明石市生まれ。74年にJRA馬主に登録。冠名の「メイショウ」は「〝明〟石の〝松〟本」に由来し、「名将」にもかけている。
2001年にメイショウドトウが宝塚記念に勝利し、初のGⅠタイトルを獲得。その後、日本ダービーを含むGⅠ・4勝をあげたメイショウサムソンを筆頭に、メイショウボーラー、メイショウマンボなどのGⅠ馬を送り出している。
これまで所有した馬は約5000頭で、16年12月に個人馬主として前人未到の通算1500勝を達成した。
ほとんどの所有馬は社台グループのような大規模牧場ではなく、日高の牧場から購入。地元の軽種馬関係者は松本氏を「メイショウさん」と親しみを込めて呼んでいる。
09年、日本馬主協会連合会会長に就任し、現在は名誉会長。JRA運営審議会委員やJRA馬主相互会会長などの公職も務める。
本業の「きしろ」は、1915年(大正4年)の創業。船舶やエネルギー関連の大型鋳鍛鋼品の切削加工などを手がける。タンカーなどの船舶用大型ディーゼルエンジンの「クランクシャフト」の切削加工では、世界シェア45%を誇る。戦艦「大和」の主砲を製造した大型旋盤は、いまなお稼働している。
近年では航空機の後輪の軸「降着装置」やジェットエンジン部品の加工もおこなっている。
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――1月29日の東海ステークスでは、メイショウウタゲ(10番人気)が3着と好走しました。
松本 実はひそかに楽しみにしていたんです。あの馬は意外性があってね。僕は新馬戦を元調教師の武邦彦さん(16年8月12日に逝去)と見ていました。ウタゲはスタートで大きく出遅れた。確か単勝120、30倍という人気だったんで、やっぱりなぁーと。
でも、最後の直線で伸びてきて勝って、大穴が出たんです。終わってから邦彦さんが「会長、この馬は将来走りますなー」と言ったのを覚えています。その後、ウタゲは成績が低迷する時期もありましたが、オープン馬までなりました。最後の直線で前が詰まっていなければ大穴で、惜しいレースでした。
――武邦彦さんの息子は武豊騎手と武幸四郎騎手です。昔から家族ぐるみのお付き合いと聞いています。
松本 そうですね。豊と幸四郎には子どもの頃、お年玉をあげた時もあったなー。いまではこっちがもらわないと(笑)
――昨年12月、武豊騎手が通算4000勝を達成したとき、松本会長の所有馬でした。
松本 そんなに豊の馬は、楽しみにしていたわけではなかったんです。ところが、うちの大本命の馬が出遅れて、勝ったのが豊だった。
豊は競馬界の〝宝物〟です。競馬をよくわからんでも、「武豊」は知っているでしょう。こんな存在はいまの競馬サークルにはいません。競馬が社会的にここまでのポジションになったのは、豊の功績がとても大きいと思っています。
マンボで幸四郎と涙のオークス制覇
――13年のオークスは武幸四郎騎手のメイショウマンボが勝ちました。レース後、松本会長と幸四郎騎手が涙を流す光景は、多くの競馬ファンの胸を打ちました。
松本 メイショウマンボは私の子分け馬でしてね。お母さんがあまりいい子を出さず、マンボを産んだ後に牧場が手放したんです。マンボのお母さん、お祖母さんもメイショウの馬というゆかりの血統です。お父さんがスズカマンボなので、メイショウマンボと名付けました。
新馬戦を勝ったときに預託先の飯田明弘調教師が「この馬は走るわ」と。当時乗っていた飯田祐史が翌年から調教師に転身することになり、乗り役が幸四郎になったんです。
僕は桜花賞でいいなぁと思ったんですけど、外枠引いてずっと外を走りダメでした。レース後、幸四郎から電話がありました。「オークスに登録していないんですけど、どうするんですか?」と。僕は「幸ちゃん、乗るの?」と聞いたら「ぜひ、乗せてください」と言うから、追加登録料200万円を払って、出走させることに決まったんです。
レース後、僕の顔を見て泣きじゃくる幸四郎を見たら、こちらもウルッときちゃってね。幸四郎は陽気で、いつもひょうひょうとしているから、あまりそうした姿を見せない。当時、成績も振るわず、苦労していましたから。「幸ちゃん、よかったなぁ〜」と声をかけると、僕も涙が止まらなくなりました。
こういう〝出会い〟があるから、競馬はやめられんのかなぁと思いますな。それは大きなレースということではなくて、厳しい勝負の世界の中で、ああいう感動的な瞬間があるのが、競馬の魅力なんです。
――幸四郎騎手は早ければ今年3月から調教師になります。
松本 幸四郎には「調教師になるんだから、だらしのない飲み方をしてはいかんよ」と言っています(笑)。徹底的に飲んでしまうタイプなんです。
昨年末の有馬記念が終わった後、当社の本社で、僕が預託している調教師40人が集まり、1年の慰労会を開きました。そこに幸四郎も混って「今度、調教師になるから」と紹介しました。本人も気を引き締めて、節度ある飲み方をしていたので心配はいりません。今後は幸四郎調教師といい出会いが生まれることを、楽しみにしています。
どの馬は走るかなんてわからない
――馬主になられて45年になります。
松本 若い頃から馬券が好きでね。いつの日か、オーナーになりたいと思いました。
競走馬は経済動物です。さまざまな人間の夢、希望を背負って、厳しい訓練に耐えて、ようやく出走する。競馬の面白さは人それぞれですが、馬が走る姿は迫力がありますよね。
レースになると馬も騎手も命がけです。死闘を繰り広げ、無事に戻って来た時、馬の目が輝いているというか、優しいんです。いつもレース中は「転んだり、ケガはするなよ」と祈っています。
――これまでの所有馬は何頭くらいになりますか。
松本 5000頭くらいですね。毎年、セリで30頭、40頭購入し、自分の子分けが20頭くらいいます。庭先も含めると、1つの世代で100頭から120頭くらいです。
僕は昨年12月、「松本好雄」として1500勝を達成しました。ほかに誰もいないでしょうな。メイショウの冠が付いていて、家内や息子名義の馬も含めると、約1700勝になります。
――〝メイショウ軍団〟には、良血の高額馬はほとんどいません。
松本 最初に申し上げたいのですが、僕は社台さんの高額馬でどんどん落札されるセリをどうこう言うつもりはありません。日本の競馬を大変盛り上げてくれていますし、素晴らしいことだと思っています。
ただ、僕の個人的な意見ですが、馬1頭、2頭に数億円を出すのは、どうなのかなぁ、という気がするんです。
僕は機械設備の技術屋です。一つひとつの大型機械は結構高いものなんです。2億、3億もしますからな。そうした設備を導入、更新させるときは、頭を悩ませます。ありとあらゆることを想定し、マーケティングに合うのかどうか、調べながら進めるわけですね。
そんな本業を考えたら、1頭に大枚を叩くことはできない。根底には、どの馬が走るかなんてわからない、という信条があります。それがわかれば、みんな大金持ちになりますよね。馬券も当たるでしょう(笑)
僕が最初にGⅠをとったメイショウドトウは、アイルランド生まれです。「期待の牝馬1頭じゃさみしい。うんと安くていいから、付け馬を探してくれ」と武邦彦さんに頼みました。それがドトウでした。その牝馬よりはるかに安い500万円だったかな。結局、期待した牝馬は一度もレースに出走しなかった。
一方のドトウはテイエムオペラオーとGⅠで6度戦いました。6回のうち5度2着で、宝塚記念の1度だけオペラオーに勝ちました。競馬は本当にわからないものなんです。
――馬を購入する場合は、調教師と一緒に行動するんですか。
松本 4、5人の調教師と牧場をまわったり、セリに参加しています。セリ場では、みんなで厩舎に行き、馬を出してもらう。たとえば、Aという調教師が「このセリのこの馬を気に入っているんだ」となります。見るときもみんなで行って、冗談で「ケチ付けよう」と笑うんです。
あまり調教師は、そういうことをやらないんです。自分一人で決めて、馬主に紹介をする。僕みたいに大っぴらにやる馬主はいません。調教師も、戸惑っている面もあるでしょうな。
――日高の軽種馬関係者は、お世話になっている松本会長を〝メイショウさん〟と、親しみを込めて呼んでいます。
松本 そういっていただけるのはありがたいし、うれしいです。
僕が日高に滞在すると、20、30の牧場関係者と一緒に毎晩夕飯を食べるんです。仮に10人がセリに馬を出していて、8人が売れて2人が売れなかったとします。それはかわいそうだから、「まぁ、いいか」と、私が買うこともあります。
牧場に行って「なんかセリで売れ残っている馬がいる?」って聞く。「いますよ」となると「じゃあ、見ようか」って、その中で選ぶこともあります。生産者が血のにじむような努力をして、手塩にかけ育てた馬ですからね。それも人とのつながり、出会いなんです。
これまで牧場の人たちには「半分はセリでちゃんと売れるようにしなきダメですよ」と言ってきました。最近は半分以上がセリで売れて、庭先で買うことがむしろ難しくなりました。
牧場も庭先で500万円だと思っても、セリで1000万円で売れるかもしれない。庭先よりセリが主流になってきたということは、いい傾向だと思いますね。
競馬のプロの仕事には立ち入らない
――松本会長の座右の銘は「人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる」です。
松本 僕は人との出会い、つながりを大切にしながら、コツコツと頑張る日高の牧場の人たちと競馬に携わりたい。それは僕が歩んできた技術屋人生と重なる部分があるのかもしれません。
大原則として、競馬が娯楽、趣味です。僕にとっては競馬を通じての人の輪の広がりが楽しいんです。そこからたまに走る馬が出てくるほうが、楽しみが多いんじゃないかなと。
今も昔も日高の中小牧場の経営は大変です。どんな業界もそうですが、大手ばかりが残り、寡占化が進むことは、いずれ全体が衰退することになりかねません。将来の日本競馬界にもよくないと思うんです。
――乗り役も完全に調教師にお任せなんですか。
松本 そうです。すべて任せています。僕は馬の世界では素人です。現場に多く立ち入ろうと考えていません。専門家、その道のプロがやっているんだから、よかれと思って乗り役も決めているわけです。そこは信頼するしかないでしょうな。
――06年の日本ダービーを制したメイショウサムソンとの思い出を聞かせてください。
松本 サムソンは直木賞作家の新橋遊吉さんが付けてくれた名前です。
瀬戸口勉調教師から「いま、浦河にいるんです」と電話が来て、「今年の1歳馬がいない、自分も定年で終わりですが、何か1頭買ってくれませんか」と頼まれたんです。
後日、「障害レースでもいけそうな引き取り手のない丈夫な馬がいる」と言われ、サムソンを700万円で購入しました。僕もサムソンを初めて見たのは、新馬戦のパドックです。
当初、瀬戸口さんは(福永)祐一にサムソンの騎乗を頼んだのですが、新潟競馬場に行ってしまった。攻め馬(調教)で(石橋)守が乗っていたので、そのままレースに出たんです。
予想以上に走り出し、皐月賞は穴人気で、思った通りでレース展開で勝つことができました。
レースはもちろんですが、僕が感激したのは表彰式の後です。表彰式でようやく涙がとまったのに、検量室に戻ると、関西の乗り役全員がズラっと並んで迎えてくれました。また泣いてしまってね。うれしかったですな。
――そして日本ダービーを迎えました。
松本 僕は絶対にダービーは勝てないと思っていたんです。前日の土曜日、競馬専門チャンネルに岡部幸雄元騎手が、ダービーを振り返るというコーナーに出ていたんです。
それを見ていると、岡部騎手は27回もダービーに騎乗しているけど、勝ったのはシンボリルドルフの1度だけ。ダービーは大変なレースだという内容ばかりで、これはあかんと思いました。何せ、守はダービーに乗ったことすらないわけですから。
その夜、懇意にする小島太調教師と一緒にメシを食べました。太は「ダービーに一番人気の馬を出せることが、馬主の冥利ですよ」と。本当にいいこと言いよるんねん(笑)。翌朝、雨がやんで快晴になり、馬場も稍重まで回復しました。
――最後の直線はどんな心境でしたか。
松本 夢を見ているみたいで、直線で伸びていくる様子を見て、これが本当に自分の馬なのかと信じられない気持ちでした。
――鞍上の石橋騎手もすごいプレッシャーだったはずです。
松本 ゴール前でアドマイヤメインを交わした後、腕が動いていなかったじゃないですか。関西の競馬場では勝った瞬間、調教師など関係者から「守コール」と拍手が起きたみたいです。
地道にコツコツとやってきた苦労人の騎手が、ああいうひのき舞台で一番人気になり、よく勝ったという証です。
――その日、関係者みんなで明石に移動して、祝勝会を開いたそうですね。
松本 はい。東京競馬場には、牧場関係者は10人くらいと明石からサムソン応援団が100人くらいが来ていました。口取り式もみんなで撮影したんです。浦河からはるばる来る大変さがわかりますし、一緒にお祝いしたいと思いました。
――09年2月にメイショウサムソン引退記念祝賀会を、同馬の故郷である浦河で開催しました。数百人の年配の町民を招待する形でした。
松本 豊や守だけではなく、ゲストで親交のある北島三郎さんに来てもらいました。日ごろから、町民の方々には大変お世話になっています。浦河もまちをあげて歓迎してくれましたね。
ベルーガの子、
テンシャに期待
――これだけ多くの馬がいる中、名前はどう付けているのですか。
松本 実は結構大変なんです(笑)。テレビや雑誌などを見ていて、これはいい言葉だなと感じたらメモをとるようにしています。
当社の社員に「名前を付けなきゃならんから、頼むで」と言ったら、みんな案を出してくれる。まぁ、いい名前と思うところから付けますからね。エースとかプリンス、キング……。
一度付けた馬名は10年間は使用できませんが、過去の名前は付けにくいですわ。1頭1頭に思い出があるので、その馬はその馬として、自分の心の中にとどめておきたいんです。
――最後に期待の3歳馬を教えてください。
松本 メイショウオワラ、メイショウソウビ、メイショウテムズ、メイショウカズヒメですね。
もう1頭はなかなか勝ちきれませんが、メイショウテンシャです。父は僕には数少ないディープインパクトで、母はメイショウベルーガです。
攻め馬の動きが変わってきたので期待しています。この馬も母親に似て芦毛の白い馬体で、かわいいんですよ。
――本日はお忙しいところありがとうございました。


