【不定期コラム・編集長のつぶやき】第8回・名物秘書

©財界さっぽろ

「宮野明さんが亡くなりました」

 6月3日の午前10時過ぎ、十勝の政界関係者から訃報を知らせるLINEが届きました。

 宮野さんとは新党大地代表、鈴木宗男参院議員の帯広事務所の秘書です。よく政治家と秘書は親子、夫婦より濃密な関係と言われます。秘書は政治家の全てを知り尽くす存在です。ときには墓場まで持っていく話もあるでしょう。秘書を大切にしない政治家は大成しないというのは、永田町の常識です。

 我々記者の世界にも、政治家本人だけではなく、秘書としっかり人間関係を築きなさいという教えまであります。

 宮野さんは宗男さんの名物秘書として道内政界で知られた存在でした。宗男さんは昨日、自身のブログにこう記しています。

「大分県出身で昭和54年、大蔵省出身で北海道開発庁事務次官秋吉良雄さんが中川派から衆議院議員選挙に立候補した時、秘書を務め、秋吉さんは残念ながら落選し、次の選挙は諦めたので宮野明君を中川事務所で使うことにした。私のもとで議員会館で一緒に働き、中川一郎先生亡きあと、私についてきてくれた。ムネオバッシングの遭った平成14年には、造られた事件で何も関わっていない宮野が逮捕された。その後も私の事務所で働き続けてくれた。私は大臣になった時も、内閣官房副長官に就いた時も、総務局長(現党四役の選対委員長)に就任した際も、とっても喜んでくれた宮野明君だった」

 宮野さんが札幌事務所で働いていた頃、20代半ばの私は駆け出しの記者。取材で初めて宗男さんに会うため、事務所で到着を待っていました。皆さんと同じく、宗男さんのイメージはテレビのままで、緊張感は隠せませんでした。

 沈黙が事務所内を包み込み、宮野さんは落ち着かない私に「大丈夫ですよ」と声をかけてくれました。あの一言に救われたことは、いまでも鮮明に覚えています。

 その後、宮野さんとは連絡を取り合う関係になり、帯広事務所に異動になりました。2013年2月のこと。午後7時過ぎにいきなり電話がありました。

「これからの予定はどうですか。もし空いているならススキノのハイツに来てください。いま代表(鈴木さん)がJRに乗って札幌に向かっていますので」

 ハイツとは当時ススキノにあった大型キャバレー「札幌クラブハイツ」のことです。この日が43年の歴史に幕を閉じる日だったのです。私はお店に向かい、鈴木さんや事務所スタッフとハイツ“最後の夜”を過ごしました。

 私が宮野さんに最後にお会いしたのは昨年11月。鈴木さんの足寄町名誉町民の顕彰式でした。

「今度、帯広に行く時がありましたら連絡しますね」というのが最後の会話となりました。

©財界さっぽろ
昨年11月の足寄町名誉町民顕彰式での記念写真。中段の左から3番目が宮野明さん

 これまで幾度となく目の当たりにした宗男さんの「おい、宮野」という呼びかけが聞けなくなるのは、実に寂しい限りです。謹んで哀悼の誠を捧げます。大変お世話になりました。

こちらもおすすめ