【独自・無料公開】10/27投開票・衆院選北海道内“最深”情勢〈4〉10区・11区・12区・比例道ブロック【財界さっぽろ編集部総力取材】

北海道内小選挙区の区割り

 財さつJPでは、公示中の第50回衆議院総選挙について、4回に分け、北海道内12の小選挙区と比例道ブロックの終盤情勢をお届けする。最終回は10区、11区、12区と比例北海道ブロックの行方について。以下、文中すべて敬称略。顔写真や各候補の訴えは公式WebサイトやSNSなどのリンクを用意したのでそちらを確認されたい。現在行われている期日前投票、27日の投票日に向けて参考にしてほしい。

(文中の政党略称=自民→自由民主党、立憲→立憲民主党、維新→日本維新の会、公明→公明党、共産→日本共産党、国民→国民民主党、社民→社民党、れいわ→れいわ新選組、参政→参政党、保守→日本保守党、大地→新党大地)

〈10区〉=夕張市、岩見沢市、留萌市、美唄市、芦別市、赤平市、三笠市、滝川市、砂川市、歌志内市、深川市、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、浦臼町、新十津川町、妹背牛町、秩父別町、雨竜町、北竜町、沼田町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、初山別村、遠別町、天塩町

稲津 久(いなつ・ひさし)1958年2月9日 前職(5期)公明公認、自民・大地推薦
公明道本部代表、元厚生労働副大臣、元農林水産政務官
https://inatsu.com/

神谷 裕(かみや・ひろし)1968年8月10日 前職(2期)立憲公認
元衆院議員秘書、元日本かつお・まぐろ漁協職員
https://kamiya-hiroshi.jp/

 10区は自公連立の象徴だ。

 公明の稲津久は道議(空知管内)を3期務めた後、2009年に比例北海道ブロックで衆院初当選。12年の総選挙で10区にくら替えした。この時、自民から出馬を表明していたのが、岩見沢市長だった渡辺孝一である。父・省一は旧4区選出の衆院議員で科学技術庁長官を務めた道内自民の重鎮。しかし、自民本部は公明との関係を重視し渡辺の10区出馬を諾とせず、代替策として渡辺を比例北海道ブロックの名簿1位に据えた。

 稲津は自公連携で以後、小選挙区で4連続当選。一方、渡辺も自民には「比例上位での優遇は原則2回まで」との方針がある中、4選を果たしている。

 10月18日、応援演説に駆けつけた首相の石破茂は、岩見沢市内の「イベントホール赤れんが」前に集まった約900人の聴衆を前に、稲津をこう持ち上げた。

「稲津さんほど、真面目で誠実で実直な人はなかなかいません」

 だが、自民関係者からはこんな声も漏れる。

「前回の衆院選で岸田文雄前首相が入ったときに比べれば、動員は少なかった印象です。総理の支持率低下も影響しているかもしれませんが、風当たりは厳しいです」

 実は10区内の自民党員・支持者には自前の候補者を出せない不満が鬱積している。初めの頃は自民党道議の釣部勲らがこうした声をバックに「渡辺を無所属でも出すぞ」とブラフを飛ばし、渡辺の比例上位を勝ち取る一方、渡辺支持者のガス抜きをうまくやって来た。しかし、釣部が亡くなると、公明への反発は強くなった。その結果、17年の総選挙では立憲の神谷裕に513票差まで詰め寄られ、前回(21年)も約1万4000票差で比例復活を許した。

 そのような状況にもかかわらず今回、党本部は渡辺の比例下位を決定。地元自民の公明アレルギーは激しさを増した。その影響はマスコミ各社の世論調査(22日現在)にも表れている。

「神谷やや優勢」との結果が出ているのだ。一部には「大きくリード」との見方もある。

 公明新聞も10月21日「落選の危機・大逆転を!」という見出しとともに鬼気迫る稲津の顔写真を大きく掲載した。

 また、北海道新聞の記事が関係者の間で波紋を広げている。道新は10月19日、次のように報じた。

「道10区のある自民支部幹部らが会合を開き、公明党の稲津久を支援せず、立憲民主党の神谷裕への投票を申し合わせた。党員や知人への電話でも『比例は自民に』『小選挙区は神谷に』と呼び掛けるつもりという」

 渡辺の後援会関係者は報道の打ち消しに必死だ。

「自民幹部らとはどなたのことなのでしょうか。本当にそう言ったのか、にわかに信じがたいです。人それぞれ考え方があると思うので否定はしませんが、率直に困惑しています。公明関係者からも『どうなっているんだ』という連絡がきています。われわれの総意として稲津さんを支援するということには変わりありません」

 渡辺も稲津の第一声でも「しっかりと自公の連立を守る」と宣言した。

 だが、自民道連の関係者は不安を口にする。

「この状況だと公明は10区にさらに力を入れなければならない。ほかの道内小選挙区で公明・創価学会の足が止まると大変だ」

 神谷は4度目の出馬で初の〝稲津超え〟を狙う。前回は空知農民連合などの農業団体が神谷の支援を強化。「支持」から「推薦」に格上げした。神谷も自身も「負ける気がしない」と意気込んでいたが、結果は惜敗。比例で復活し、「首の皮一枚つながったのはみなさまのおかげ」と支援者らに頭を下げた。

 今回の世論調査の結果を受けても、神谷の関係者は「調査結果はあまり信じていない。また、前回、前々回も同じような報道があったが負けている。これによって、気が緩むことはない」と話す。

 神谷もまた演説でこう力説した。

「これまでは比例区に甘んじてきた。しかし、それでは政治を変えることはできないことがわかった。私が小選挙区で勝つことは、さまざまな面で大きな意味を持つ。皆さまのお力を借りしたい」

〈11区〉=帯広市、音更町、士幌町、上士幌町、鹿追町、新得町、清水町、芽室町、中札内村、更別村、大樹町、広尾町、幕別町、池田町、豊頃町、本別町、足寄町、陸別町、浦幌町

石川 香織(いしかわ・かおり)1984年5月10日 前職(2期)立憲公認
ネクスト地方創生・消費者・沖縄北方担当大臣、党副幹事長、元日本BS放送アナウンサー
https://ishikawa-kaori.net/

中川 郁子(なかがわ・ゆうこ)1958年12月22日 前職(3期)自民公認、公明推薦
元農林水産政務官、元三菱商事社員
https://nakagawa-yuko.jp/

佐藤 耕平(さとう・こうへい)1976年1月22日 新人 共産公認
党道委員、党十勝地区副委員長、元中札内村議

 立憲・石川香織と自民・中川郁子の両前職による3度目の一騎打ちが濃厚だったが一転、共産が新人の佐藤耕平を擁立。3つどもえの構図で選挙戦に突入した。

 注目は野党共闘が崩れた影響が、どの程度石川にあるのかという点だ。

 石川は公民権停止中の夫・知裕に代わり2017年衆院選へ出馬。不倫騒動などで地元の信頼を大きく失っていた中川を約1万6000票もの大差で破り初陣を飾った。

 だが21年のリベンジマッチではその差を1万票以上縮められた上、自民が比例で4議席を得たこともあって中川の復活当選を許した。

 この2回の選挙は、共産が野党共闘で候補を擁立しなかった。今回、石川にとっては初めて共産と袂(たもと)を分かつ選挙となる。

「14年衆院選では共産候補が約1万8000票を得た。単純に計算すれば1万票以上、中川よりマイナスのところからスタートしている」(地元立憲関係者)

 立憲道連が5区・池田真紀と7区・篠田奈保子を比例順位で1位に優遇したことも尾を引いている。4区の大築紅葉同様、女性候補ながら優遇されなかったことに、石川陣営では不満がくすぶっている。

 前出関係者は「道連が勝手に11区で背水の陣を敷いたようなもの。選挙戦直前ということもあり容認しがたいが、何を言っても仕方がない」とため息をつく。

 ただ選挙戦が始まってみると、その背水の陣が功を奏した面があるという。
 石川選対幹部は「前回は選挙が始まる前から当選確実という空気があり、ホテルを会場にするなどおごり高ぶりがあった。野党共闘が成立しなかった上に比例優遇の一件で、陣営は一気に引き締まった」と明かす。

 夫・知裕が11区に出ていたころから、石川の活動は〝草の根〟が信条。3万人といわれる個人後援会には、農業界や建設業界の支援者も多く、中川の支持層切り崩しの基盤になっている。
 今回の総選挙で知裕は立憲の比例単独12位候補となり「夫婦共闘」を組んでいる。第一声はともに帯広で行った。公示後は小まめな街頭演説、企業回りに加え連合傘下の組合への働きかけを強めていくという。

 対する中川陣営は、共産の候補擁立をチャンスと捉え、これまで以上の組織戦を展開する。だが本稿執筆時点で、それが100%機能しているとは言いがたい。

 十勝管内は言わずと知れた日本一の農業地帯。そして中川の義父・一郎、夫・昭一が築いた保守王国でもある。21年選挙で、4番目とはいえ中川を比例復活に押し上げたのは、農業界や建設業界の力が大きかった。とくに農業界は、ホクレン会長で士幌町出身の篠原末治が自ら中川支援で応援弁士を務めた。〝国の予算に直結する与党議員が必要だ〟という危機感が共有されたのだ。

 石川との緒戦である17年選挙で、中川が石川に勝った市町村は4町のみ。そのため4年間の浪人中に十勝管内の全市町村で後援会を設立するなど、郡部での活動を強化。その甲斐あって21年は中川家ゆかりの広尾町を始め、7町で石川を上回った。

 中川の選挙対策本部は、今回も北海道農業界のドンで十勝地区農協組合長会会長の有塚利宣が農業部門の責任者を務める。15日の第一声ではさっそく篠原が、地元のJA士幌町前など4カ所でマイクを握った。建設業界も管内の二大巨頭、宮坂建設工業や萩原建設工業を先頭に引き締めを行っている。

 17日には文部科学大臣の阿部俊子、19日には前外務大臣の上川陽子、さらに21日は所属派閥の領袖で党最高顧問の麻生太郎も芽室町入りした。

 中川選対関係者は「前回よりさらに応援の顔ぶれは豪華だ。やれることは精いっぱいやっている」と話す。

 それでも、漏れ伝わる報道各社や各党の調査を総合すると、支持に広がりを欠いているという。

 あるJA幹部は「本人のバッジを取り戻してからの仕事ぶりに、もともと疑問符がついている。党内の農林関係会議や、地元での団体の集会に出ず、要請に行きたいと言っても返事すら来ない時もある。ほかの議員にお願いしたほうがマシだ」と話す。

 他方の石川は農林水産委員会で毎回鋭い指摘を行うなど、すでに質問力に対する定評がある。また十勝は立憲の主要支援組織の1つである農民連盟の力が強く、JAとの関係も深い。そのため石川がJA前で街頭演説する場合はJA幹部が応援演説をするなど、一定票が石川に流れる傾向があり、一枚岩になれない事情があるのだ。

 また不測の事態も起きている。司令塔となる選対幹部が病床に伏してしまい、応援に入るゲストの手配などに混乱が生じている。

「応援の日程や場所など、中川さん自身で手配しているのか、ご本人から何度も連絡があった」(自民国会議員)

 さらに共産の佐藤が、自民の裏金問題を中心に管内各所の街頭演説で与党批判を強めている。共産の基礎票は1万票と言われており、14年衆院選では無党派層を含め前出の通り約1万8000票を得た。

 前出の中川選対関係者は「投票率次第だが、組織票を上回る政権批判票が共産だけでなく立憲にも相当入るだろう。無党派の票は共産の基礎票よりもずっと多い。アドバンテージはとっくに失われ、厳しい戦いを強いられている」と現状を率直に認めている。

 公示後のマスコミ各社による情勢報道の通り、自民に吹く逆風は強まる一方。比例でも多くの議席は見込めない。石川と同様、中川もまた背水の陣で臨んでいるが、より崖っぷちに立たされているのは中川のほうだ。

 中川は前回選挙で、毎週月曜に発行しているメールマガジンに当選と落選の2種類を用意していたという。恐らく今回も用意しているであろう喜びの声とおわびの挨拶について、その選択は定まりつつある。

〈12区〉=北見市、網走市、稚内市、紋別市、猿払村、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、礼文町、利尻町、利尻富士町、幌延町、美幌町、津別町、斜里町、清里町、小清水町、訓子府町、置戸町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、興部町、西興部村、雄武町、大空町

武部 新(たけべ・あらた)1970年7月20日 前職(4期)自民公認、公明推薦
文部科学副大臣、元農林水産副大臣、元衆院議員秘書
https://takebe-arata.com/

川原田 英世(かわはらだ・えいせい)1983年1月12日 新人 立憲公認
元網走市議会議員、元衆院議員秘書
https://eisei-kawaharada.net/

「おれが選挙区で落選した2009年総選挙と雰囲気が一緒だ」

 元自民党幹事長で、12区選出の前衆院議員・武部新の父である勤はこう言って、ため息をついた。

 12区は日本一広い選挙区として知られている。自民は勤の時代から磐石の地盤を築き上げており、武部新も過去4度にわたり対立候補を寄せ付けず圧勝してきた。前回の選挙では自身最多となる9万7634票を獲得。酪農地帯を中心に圧倒的な支持を得た〝武部一強〟と呼ばれる同区。第一次岸田内閣で農林水産副大臣に就いていたことも後押しし、死角はないと言われてきた。

 しかし、今回は状況が異なる。政治資金をめぐる一連の問題で自民には嵐のようなアゲンストの風が吹く。

 報道機関の世論調査でははじめ、武部新が「わずかに優勢」との見方がされていたが、選挙終盤に入ってからは戦いの帰趨が全くわからなくなっている。

「12区は郡部に行くと、武部一択という支援者が多かった。しかし、最近は党員を辞めたという話を聞くことが増えた。遊説も前回より人が集まっていない印象だ」(地元政界関係者)

 自民関係者からはこんな声も上がっている。

「公示前日に事務所開きを行うくらいなので、本人やその後援会も余裕があったのだろう。しかし、世論調査を受けて陣営は焦っている。地元の支援団体からは『もっとドブ板戦術で動くべきではないか』との不満も噴き出ている」

 その武部新を猛追するのが、立憲12区支部長の川原田英世だ。同党は2009年に松木謙公(旧・民主党)が当選して以降、15年にわたり勝利がない。過去には山崎摩耶や水上美華が出馬したが、武部の牙城に歯が立たなかった。

 前回の選挙では、候補の擁立が進まない中で、松木の秘書経験がある札幌市東区選出の道議・山根理広が候補に浮上。しかし、最終的には条件面で折り合わず、公示目前で白紙に戻った。

 そこで選ばれたのが当時、網走市議だった川原田だ。約1カ月という短期間では知名度不足は否めず、ほぼダブルスコアをつけられての惨敗だった。

 落選後、川原田は草の根作戦を展開。各市町村の事務所に寝袋持参で泊まり込み、あいさつ回りを行った。数年前までは郡部に松木謙公のポスターが残ったままだったが、現在は川原田の〝顔〟が増えた。

「この15年間、12区支部は候補を擁立するだけで手一杯になっていたのが現状だった。今回の選挙はしっかりと態勢を整えて臨むことができる」(川原田)

 地元政界関係者は「同支部は党員が少なく資金力も乏しい。人材も不足している。川原田本人は頑張っているが、どこまで票差を縮められるか・・・・・・」と話していたが、選挙戦が始まるや川原田陣営には猛烈な追い風が吹いている。

 前回、川原田と武部新は4万票以上の差がついた。共産からは北見地区委員長の菅原誠が出馬していた。しかし、今回は自民、立憲の一騎打ちとなったのも好材料だ。

 ただ、河原田陣営は慎重だ。「共産の票が川原田に流れたとしても、まだ3万票の差を埋めなければならない。世論調査では僅差との報道もありますが、まだまだ当選への壁は高い。本人はSNSなどにも力を入れ、発信力を高めている。北見市内の浮動票がどう動くかが鍵になりそうだ」(後援会関係者)

比例北海道ブロック(定数8)

 小選挙区の勝敗とともに、道内の比例代表8議席をめぐる争いもし烈だ。自民2議席、立憲2議席、公明1議席までは堅いが、残る3つのイスの行方は混沌としている。

 事実上、次期衆院選で議席獲得のチャンスがあるのは、自民、立憲、公明、維新、共産の5党。まず、2021年衆院選の比例代表結果を振り返ってみたい。(カッコ内は得票数、得票率の順)

 自民 4議席(86万3300票、33・6%)

 立憲 3議席(68万2912票、26・58%)

 公明 1議席(29万4371票、11・46%)

 維新 0議席(21万5344票、8・38%)

 共産 0議席(20万7189票)

 同年10月、支持率低迷にもがいていた菅義偉から岸田文雄に総理が交代。支持率が回復したタイミングで行われた選挙だった。とはいえ、自民が4議席獲得することは、誰も予想していなかった。

 自民道連幹部も「前回はできすぎ。次の選挙で4議席はあり得ない」と冷静な物言いに徹する。

 自民にとって3議席は死守したいところだが、前回より党の置かれている状況は深刻。派閥の裏金問題で、自民の政党支持率は13年の政権復帰後で最低を記録した。各種世論調査をみても、岸田が火の玉になって取り組んだ政治資金規正法改正の中身も〝腑抜(ふぬけ)〟という烙印(らくいん)を押されている。

「道内を回っていても、我が党への風当たりは厳しい。最悪、2議席にとどまる可能性も考えられる。そうなれば、下野した09年の選挙以来となる」(前出幹部)

 選挙戦終盤、追い打ちをかける報道があった。

 同党非公認となった衆院選候補が代表を務める党支部に、党本部が2000万円を支出していたことが判明。共産機関紙「しんぶん赤旗」のスクープだった。その後、全国紙やテレビも後追いした。党本部は「支部の活動費」と釈明しているが、事実上の〝偽装公認〟という指摘もある。身から出たさびだが、自民にとっては大ダメージだ。比例2議席というのが現実味を帯びてきている。

 立憲は前回同様、3議席は確定。情勢を考えれば4は獲得したいところ。

「投票率の大幅アップが絶対条件となる」(立憲道連幹部)

 共産は道内12選挙区のうち、9つに候補を擁立した。14年以来の議席獲得を視野に入れる。

 維新は前回、あと一歩で最後の議席を逃した。

「維新に前回ほどの勢いは感じられない。昨年、鈴木宗男が離党した。維新に入った鈴木の個人票の目減りを埋め、さらに得票を積み重ねるのは容易ではない」(世界関係者)

 そのほか、国民、れいわ、日本保守党、参政、安楽死制度会、社民が比例区に候補擁立している。

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