【追悼】宮﨑英樹(岩倉建設会長)逝去・過去の肉声を無料公開、元連合後援会長が衝撃発言「堀井学、次期衆院選はあきらめなさい!」※2024年4月配信記事
宮﨑英樹岩倉建設会長
苫小牧で創業した岩倉建設の会長である宮﨑英樹氏が6月1日、敗血症のため、札幌市内の病院で死去した。85歳。
宮﨑氏は1940年11月18日、苫小牧市生まれ。青山学院大学経済学部卒。65年に前身の岩倉組に入社。93年に社長に就任し、2018年から現職。苫小牧建設協会会長を02年から今年5月まで務め、地元建設業界の重鎮として知られた。
政治とのつながりも強く、今年2月の衆院選では、地元9区で初当選した自民党・松下英樹氏の連合後援会最高顧問を務めた。
本誌では過去、24年5月号で宮﨑氏の肉声を記事化したことがあった。当時、世間を騒がせた自民党の政治とカネの問題が噴出していた時期。9区の自民現職(当時)だった堀井学氏も渦中の人物となっており、過去に堀井氏の連合後援会会長に就いていた宮﨑氏が誌面で〝引退勧告〟をした。その記事を無料公開する(肩書きなどは掲載時のまま)。
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衆院議員・堀井学の進退に注目が集まっている。大票田の室蘭、苫小牧の事務所は資金難で閉鎖。そんな中、元連合後援会会長の宮﨑英樹から「新候補を立てる」と〝衝撃発言〟が飛びだした――。(文中敬称略)
前回衆院選以降、一度も会っていない
「行くも地獄、退くも地獄」
次期衆院選出馬をめぐり、堀井学は周囲にそう漏らしているという。
派閥の政治資金パーティーのチケット収入について、堀井は2196万円を政治資金報告書に記載しなかった。その後は報告書の訂正などの対応に追われた。
3月初旬、自民苫小牧支部は堀井の政治姿勢についての〝意見書〟を突きつけた。内容は「なぜ支援者回りをしないのか」「党支部を軽視している」など、堀井の問題点を指摘したもの。
「苫小牧の総意ではなかったが、こういう声もあるということで意見書を提出した」(9区自民関係者)
同時期に堀井は、選挙区内の自民支援者に説明する〝おわび行脚〟を開始。各地では厳しい声が上がった。
4月4日、自民党は安倍派と二階派の議員ら39人の処分を決定した。堀井は1年間の役職停止処分。
役職には支部長は含まれないという見方が優勢。事実上の〝おとがめなし〟だ。
しかし、堀井陣営には折からの資金難という別の問題が待っている。
「業務を秘書に任せきりだったため、選挙活動によって借金が膨らんでいることをあまり認識していなかった。気付いた時にはがくぜんとしたそうです」(別の9区自民関係者)
堀井は今年1月に実施予定だった内閣府副大臣就任記念の政治資金パーティーを収入のあてにしていた。
しかし、裏金問題と自身の副大臣更迭により、パーティーは中止。陣営にとって大打撃となった。
苫小牧での事務所閉鎖も、このパーティー中止が決め手になったと言われている。
「党の処分が済んでも、借金問題は解決していない。室蘭と苫小牧の事務所を閉鎖し、後援会も休止状態の今、次の衆院選に出るための資金繰りができない。かといって出馬をあきらめると借金が残されるだけ。にっちもさっちも行かない状態です」(前出関係者)
ターニングポイントは、2021年10月に行われた衆院選での小選挙区落選、比例復活にあった。
「小選挙区で負けたことで、後援会に対して疑心暗鬼になったようです。落選を後援会のせいとするような言動があった。だから事務所のスタッフも一新しました」(前出関係者)
この態度を受け、21年12月ごろに岩倉建設会長の宮﨑英樹が連合後援会会長を辞任した。地元には激震が走った。
宮﨑は、選対本部長だった参院議員・橋本聖子の頼みを受け、12年の堀井初出馬時から連合後援会会長の座に就いていた。地元の名士として選挙を熟知している宮﨑の会長就任は、当時の堀井にとって非常に心強い存在だった。
また、9区内では、堀井の借金の〝債権者〟は宮﨑であるとささやかれている。宮﨑の離脱が、堀井の資金難をより深めていることは想像に難くない。
3月27日、本誌記者が宮﨑に取材を打診すると、快く引き受けてくれた。メディアに宮﨑の肉声が報じられることは少ない。
岩倉建設の役員室で、宮﨑は応接スペースのソファにどっしりと腰を下ろすと、早々に自ら語り始めた。
「堀井は後援会の言うことを聞かなくなり、勝手なことばかりやるようになった。そういう状況で後援会長なんかやってられない。だから降りました。小選挙区当選と、比例当選には大きな違いがある。彼は比例当選がどうも面白くなかったようですね」
その口調は淡々としながらも、静かな怒りと諦念が込められていた。
取材の前日、橋本が苫小牧を訪問し、宮﨑や苫小牧市長・岩倉博文の元を訪れていた。橋本は、自身には不記載や裏金がなかったことを説明し、来年の選挙に向けての継続的な支援を要請。宮﨑も岩倉も納得している。
連合後援会会長辞任後、宮﨑は堀井と一度も会っていないという。堀井の〝不義理〟に対し、宮﨑は「会う必要もない」とバッサリ。
「裏金問題が出るまでは、選挙区内の街頭で手を振っていました。しかし、大事なことは街頭演説。自分は政治家としてどういうことをやりたいのか、胆振日高地域や北海道、あるいは国のために何ができるのか。それを明確に論ずることが必要。彼からは、政治家としての意志が見えてこない。結局、政治家には向いていないのでしょう」
「秘書のせい」はただの責任逃れ
衆院選が目前に迫っていた21年7月。苫小牧市内で行われた堀井の政治資金パーティーで、元総理の安倍晋三が出席する中、宮﨑は後援会会長としてスピーチを行っている。
今回の安倍派のパーティー券収入問題について、宮﨑は以下のように見解を述べた。
「選挙には多額の資金が必要になる。大派閥を維持していくために、トップが資金源を用意する。このこと自体には違和感がありません。至極当然のことです。ただ、さまざまな援助を受けながらも、必要な得票数が確保できなかった。これは本人に問題がある。後援会に問題があるという側面もあったかもしれないが、自分の選挙区なのだから自分がしっかりやらなければ」
更に苦言を呈する。
「選挙区民として最も困るのは、安倍派からのキックバックについて、秘書が持って逃げたとか、どこに行ったのか分からないなどと言っていること。あれは責任逃れでしかありません。そんなことは思っても言うべきことではない」
注目が集まる堀井の進退。選挙区内では、支部長継続説や道議や首長へのくら替え説など、噂が飛び交っている。
宮﨑はなおも続ける。
「彼が次の選挙で出馬しても落選確実というのが大方の見方。そうなると、9区で与党衆院議員が不在になる。次々回の選挙まで3年以上の空白を作るわけにはいかない。それは致命的なダメージだ」
地方からの要望書は、地域の代表者である国会議員の事務所に提出するというのがルール。苫小牧市政に関わる人々や経済界からは「大企業を抱えるこの地域には、与党議員が必要不可欠」という言葉がたびたび聞こえてくる。
「さまざまな事業が計画されている中で、与党議員がいなければ要望を伝える窓口がなく、スムーズな連携が取れません。前回の衆院選でも、堀井先生がもし落ちたらどうするか、という話題が出ました。渡辺孝一衆院議員の名前を上げる人や、案件ごとに4人の参院議員の先生にそれぞれ持って行くしかないという人も。皆が頭を抱えていました」(地元政界関係者)
借金解消と引き換えの衆院選辞退か?
来たる〝与党議員不在の危機〟に対し、宮﨑は〝新候補擁立〟をぶち上げる。
「堀井が出ても受かることはない。今まで応援してきた人たちも愛想を尽かしている。大票田である苫小牧の事務所を閉めたことからも、彼にはもうやる気がないと見える。できるだけ早く新しい候補を用意して、後援会活動をみっちりやって、この地の代表として認めさせます。そして、そういう体制を敷くことによって、堀井に出馬をあきらめさせる。できるだけ早いうち、4月か5月には方向性をはっきりさせたいと考えています」
冷ややかに語り続けるその口調には、堀井への信頼はわずかほどもなかった。
9区の自民関係者は「現職というのは非常に重い。堀井さんを切り捨てることはない」と語る。
宮﨑はこれに対し、断言する。
「それは堀井が出る前提での話。出馬しない、新しい候補を立てるということになれば、皆こちらへ傾くに決まっています」
気になる新候補について、地元では苫小牧市議の金澤俊の名がたびたび上げられている。一方、金澤には次期苫小牧市長選への出馬説も根強い。
宮﨑は次のような見解を示す。
「西胆振でも知名度があり、大企業の賛同を得られる人物を探さなければならない。新候補選びについては、ある程度の時間が必要です。年内に衆院解散となることはほぼ間違いないでしょう。おそらく、総裁選がある秋に行われる可能性が高い。それまでの間、腰を据えて新しい候補を支援していく」
この日、約30分間にわたって宮﨑は語り続けた。
「もういいかな」と言って立ちあがろうとしたところに、記者はかねてから9区で流れる〝噂〟をぶつけた。
「出馬をあきらめる代わりに借金をチャラにすると宮﨑会長が言えば、堀井議員は潔くあきらめるのではないかという見方があります。どうお考えですか」
宮﨑は間髪入れずにこう答えた。
「そういう考え方もありますね。それを採用するかどうかはこちらの判断です」
=4月8日時点=


