中内功 ダイエー社長【1977年4月号】

©財界さっぽろ

高橋幸雄氏(右)と中内功氏

売り場活性化に大切な〝主張する前に実行せよ〟

 松下幸之助が〝経営の神様〟なら、ダイエー創業者の中内功は〝流通の革命児〟として、後世に名を残している。
 中内は戦後復興期から、一代で全国最大のスーパーチェーンを築き上げた。同社の創業から20周年を迎えた1977年、中内は本誌の対談企画に登場している。
 相手はダイエーが入居した札幌の琴似、麻生両店舗ビルオーナーだった高雄ビル開発社長・高橋幸雄。
 中内は北海道に対する魅力をこう打ち明けていた。
「やはりニューフロンティアということでしょうね。札幌は購買力が強く、生活向上意識が高い都市ですので、われわれとしてこんなたまらない魅力はありません」
 ダイエー急成長の背景には、〝低マージンと商品の高速回転〟があった。同社のメルマークとなった〝価格破壊〟だ。
 中内は対談で、売り場の活性化に対する熱い思いを口にした。
「売り場に対してプラン・ドゥ・シー(計画、実行、見直し)を考えていかなくてはならない。売り場が〝主人〟であり、われわれがそれに対するサーバンドであることを、もう一度確認しようということです」
「中国の古い諺に〝張する前に実行せよ〟という言葉があります。額に汗を流し商品を陳列し、お客さまに挨拶を行い接客サービスを強化して、常にお客さまにとって快適な売り場を実現しなくてはなりません」
 ダイエーのピーク時の年商は3兆円を超えた。しかし、猛烈な全国各地への出店攻勢は、後に不採算店舗のマグマとして噴出する。1990年代後半から、業績悪化が顕著となり、信用不安がささやかれはじめる。
 2004年、ダイエーに産業再生法が適用される。再建が図られ、13年にはイオンの完全子会社となった。

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