前田義徳 NHK会長【1970年5月号】

©財界さっぽろ

旭川に思いを寄せる前田義徳氏(右)

若者は意気込みプラス科学的精神の充足が必要

 前田義徳は〝NHK中興の祖〟と呼ばれる。1964年から73年まで会長を務めた。
 東京外語学校卒業後、イタリアに留学。帰国後、朝日新聞に入社した。
 第2次大戦を海外の特派員として経験。終戦をベトナムのサイゴン(現・ホーチミン)で迎えた。
 朝日の外報部長を経て、NHKに解説委員として入局。専務理事、副会長と出世街道をひた走った。
 たとえば、現在の渋谷のNHK放送センターは、前田が会長時代に建設されたものだ。
 総理だった佐藤栄作と気脈を通じ、政界とも近い存在として知られた。
 前田は旭川市生まれの道産子だった。父親が山形から入植し、食パンの卸しに従事していた。
 前田は生涯、旭川に本籍を置き続けるほど、故郷愛に満ちていた。
「生まれ故郷の旭川を忘れたくないと思っている。東京には職業上住んでいるだけ。いまだに北海道には、大陸的な大地が生きていると思う。私のこれまでの生涯に大きな影響を与えている。地平線から太陽が出て、地平線に沈むところはいまだに北海道しかない。それが好きだ」
 インタビューでは最後に、そんな北海道に望みたいことを聞いている。
 前田のメッセージは、いまの時代にも向けられている。
「北海道土着の科学的精神の活用を期待している。開拓当時の精神が漸次失われ、平均化されている。小市民的平均化だ。これは社会の発展においてある程度やむを得ない。しかし、常にフロンティア精神を忘れないでほしい。従来は意気込みだけでやる方が多かったが、意気込みプラス科学的精神の充足という方向に持って行ってほしい。とくに若い世代に期待したい」

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