小佐野賢治 国際興業社長【1969年9月号】

©財界さっぽろ

右から2人目が小佐野賢治氏

北海道がハワイのような場所なら観光で世界一だ

小佐野賢治と田中角栄は〝刎頸の友〟と言われた。小佐野の名を聞いて思い出されるのがロッキード事件だろう。
 1976年、国会の証人喚問で「記憶にございません」と何度も発言。この年の流行語大賞にもなった。
 国際興業創業者の小佐野は昭和を代表する実業家の一人。運輸、ホテル、観光、不動産など約40社を束ね、国際興業グループの総帥となった。政商、ホテル王と称された。
 69年8月、同社社長だった小佐野が来道。同グループで建売住宅大手「日本電建」の道内初進出に関連して、本誌が座談会を企画した。
 当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった小佐野だったが、ほとんどマスコミに露出することはなかったという。
 自動車部品業を皮切りに、一代で巨万の富を得た小佐野。
 自身の経営論については「人間というものは、もうけるばかりではなく、人と人とのつながりもあるし、いろんな面でやっていけばいつかはいいこともある。樹木だって木枯らしが吹くときもあれば、芽を出して花が咲くときもある」と語っていた。
 北海道にホテルをつくる可能性を聞かれると、「いまのところ予定はない」とキッパリ。
 北海道の観光に対しては、こう手厳しい見方を示していた。
「北海道の最大の難点は一年中稼働できないことだ。これがハワイみたいに365日、常に観光ができるところであったら世界一だ。雪は大事な観光資源だというが、観光的見地から考えると、寒いところより暖かいところの方が繁栄する。大雪山や阿寒を見に行くにしても、冬は全然だめだ」
 小佐野が指摘した道内の冬の観光の課題は、半世紀たったいまでも解決していない。

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