石原慎太郎 作家【1968年5月号】

©財界さっぽろ

左端が石原慎太郎氏

北海道は大陸的、一種のエキゾチズムを感じる

今年2月、石原慎太郎は鬼籍に入った。1956年、処女作「太陽の季節」が芥川賞を受賞。文壇の新星としてさっそうと登場した。石原は、若い世代のシンボル、リーダー的な存在となった。
 それから12年後の68年、本誌の座談会に出演している。
 石原は神戸の生まれだが、父が山下汽船の小樽支店長を務めていた。そのため、幼稚園から小学校4年生まで、小樽で過ごした。
 石原は「子供の頃の小樽は、急な坂があり、港が見え、ケーブルカーこそないが、サンフランシスコみたいな街だと思っていたんです。いまでは寂しいですが…」と記憶をたどる。
 北海道の印象については、独特の言い回しでこう語っていた。
「北海道は大陸的といいますか、一種のエキゾチズムと、日本の島国という小さなテリトリーの中に追い込まれた人間の発想と違うようなものを持っていますね」
 当時、石原は夏に行われる参院選全国区からの出馬を目前に控えていた。
 日本の政治に対しては「もう少し強いリーダーシップがほしいですね。革新とか保守は看板だけで内容が伴わない。とくに革新と称する政党は、実に保守的な人間たちですよ」と指摘。
「日本人に欠けているものは」という問いへの答えは、実に明快だった。
「やはり理念でしょうね。物の考え方が非常に軟弱です。つまり国家が何に向かって進むのか。何を将来考えているのかさっぱりわからないし、国民も何を望んでいるのかもわかりません。そのためには国家の利益が自分にこうつながることを考えなくちゃあ」(石原)
 国民の政治不信が渦巻き、国政選挙の投票率は目を覆いたくなるような状況だ。石原のこの言葉は、議員、有権者のどちらにも問われているのではないか

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