岩田徳治・巌 岩田建設会長・社長【1967年7月号】

©財界さっぽろ

岩田巌氏(左)と岩田徳治氏

人間が少なくては、産業も文化も伸びようがない

 岩田地崎建設は今年、創業100周年を迎える。いまや道内一の建設会社として知られる。同社の創業者・岩田徳治は富山県から北海道に渡った。現在の丘珠町(札幌市東区)に入植し、岩田組を創業した。
 いまから55年前、本誌では会長の徳治と2代目社長・岩田巌の親子対談を掲載していた。
 実は徳治は経営者だけではなく、政治家という顔も持っていた。
 札幌村議を30年以上にわたり務め、村議会議長の座にも就いた。インタビュー時、札幌市議から道議となっていた。
 徳治は巌に政治をつがせるかについて、「政治は私一代で結構です。息子にやらす気はありません」とキッパリと否定していた。
 巌も「あまり苦労しているのを見ると、政治もぼつぼつ辞めてもらいたいと、たまに思います」と本音を漏らす場面もあった。
 対談の話題は巌の健康の秘訣に及んだ。それは毎朝のラジオ体操と散歩だったという。
「暇があれば、本社付近を自転車でまわるのが健康にもいいし、政治に対する声や要望を聞いて歩けるので、そうしたいと思っています。まぁ、暴飲暴食をせず、酒もたばこも飲まないので、体を無理に使ったりしないようにするだけですね」(徳治)
 また、徳治は伸びゆく北海道経済に対し、こんな問題点を指摘した。
「人口が札幌に集中するけれども、北海道全体で伸びていない。人間が少なくては、産業も文化も伸びようがないわけで、この点、工場誘致、企業誘致を積極的に進めなければならないでしょう。しかし、ただ来い来いと言っても、相手が企業となればそうたやすくはいかないし。そういった問題に対処していかなければ、と思います」

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