池田勇人 内閣総理大臣【1964年8月号】

©財界さっぽろ

東京でインタビューに応じた池田勇人氏

ハッタリがない道内財界人、開拓魂を忘れずに

 本誌に現役総理大臣として初めて登場したのが、池田勇人だった。
 池田と北海道には浅からぬ縁があった。昭和2年から昭和5年まで、函館の税務署長として赴任。
 池田は「春は梅と桜が一緒に咲き出すし、いいところだった」と回想する。
 大好物は、道内で口にした毛ガニとトウモロコシ。
「北海道的に言うとトウキビ。あのトウキビというのは畑でとってから1時間以内に食べるのが一番うまいんだ。冷凍したものなどは全然いただけない」(池田)
 当時、北海道の道路整備が急ピッチで進められていた。未舗装、未完成の道路問題は開発政策の最大の柱と言われていた。
 池田は次のように自信を見せていた。
「北海道の道路は一口にいえば、歴史がないということなんです。悪条件がそろいすぎている。でも、私が内閣をお預かりするようになってからは、北海道の道路予算は増えましたヨ。もちろん歴代開発庁長官は大物がおったし、道選出の代議士や町村(金五)知事が熱心に運動されたたまものだと思います。まぁ、5年たったらどうなるかみていてください。いまに日本一の道路天国になりますよ」
 池田は取材内で、北海道拓殖銀行頭取の広瀬経一を、北海道を代表とする立派な財界人としてあげた。その上で、こんなメッセージを送っている。
「北海道の財界人は非常にまじめでハッタリがなく、こちらも安心してお付き合いができるのは嬉しいと思う。あくまでも北海道の先人が残した開拓魂を忘れず、北海道のことは任しておけというような気概がほしい」と。

こちらもおすすめ