佐藤栄作 北海道開発庁長官【1964年6月号】

©財界さっぽろ

満面の笑みを見せる佐藤栄作氏(右)

道民はもうそろそろ自信を持ったらどうですか

 戦後の1950年、北海道は〝日本のホープ〟と言われた。北海道開発法が施行され、総理府の元に北海道開発局が設置された。
 佐藤栄作は1963年、2度目となる道開発庁長官に就任。インタビュー時、次期総裁選の「台風の目」とみられており、翌年の総裁選に池田勇人の3選阻止を掲げ、出馬。敗れたものの、病に倒れた池田に代わり、総理となった。
 佐藤は本誌インタビューで、道内観光について進言していた。
「観光と言うと、人がカネを落とすものだとか、非常に儲かるものだとか、こう考えてる。だから、数でこなしていく。1人からはそう取らない。ことに北海道でほしいのは、青年男女だな。青年男女をうんと北海道に送り込まなければならない。そして、日本の変わったところにひとつなじんでもらいたい」
 また、当時、さっぽろ雪まつりの開催期間はわずか3日間のみ。
 佐藤は「もう少し長くしたら…。札幌の名物、北海道の名物に」と期待を込めていた。
 最後に、道内財界人をこう叱咤激励していた。
「北海道の方は、もうそろそろ自信を持ったらどうですか。まず第一は自らが自信を持たなければいかんですよ。北海道くらい地の利を得ているところはないのだ。東京まで来るのにもいや飛行機だとか、船だとか、汽車だとか言っているけれども、外国へあなた目を向けてご覧なさい。北海道は一番近い。そうすれば輸出産業は北海道だ。原材料をあそこへ持って行って、それをアメリカだとかソ連だとかへどんどん輸出するには、本州よりか便利なんだ。だから、自信を持つことですよね」

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