【無料配信】白老町「スーパーくまがい」が北雄ラッキーに買収・熊谷社長が、かつて本誌に明かした店作り・地元への思い

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スーパーくまがい

 長らく地域住民に愛された白老町の「スーパーくまがい」が、北雄ラッキーに買収されることになった。店名は変更される見通し。同店はかつて道が選ぶ「いってみたい商店街&お店」ナンバーワンにも輝いたことがある。2008年2月号で、本誌は同店を運営する熊谷商店社長の熊谷威二氏にインタビューを行った。以下、当時の記事を再録する。

 道が選ぶ「いってみたい商店街&「お店」表彰の店舗部門で、白老の「スーパーくまがい」が大賞を受賞した。 地域に密着したユニークな営業戦略が評価されたものだ。熊谷威二(たけじ) 社長に人気の“秘密”を聞いた。

一人一人を相手にする行商が原点

 ――大賞に選ばれた率直な感想は。
 熊谷 正直、とても驚いています。白老は人口2万人の小さなマチです。 市民の方々を大事にしなければ商売は成り立ちません。 お客さんが教師みたいなもので、言われたことを一つひとつ店づくりに取り入れてきました。それが今回の受賞につながったのではないでしょうか。

 ――会社をおこした経緯は。
 熊谷  わたしの親は、樺太の引き揚げ者で、小学3年生の時に秋田から白老に引っ越してきました。生活は非常に厳しかった。食べることに困ったほどです。
 母親が家の前で駄菓子や果物をリンゴ箱に並べて売っていた。わたしは高校卒業後、地元の大昭和製紙(現・日本製紙)に入社しましたが、5年で退職して母親の仕事を手伝い始めました。
 しかし、わたしが入ってやるような規模ではなく、待っていてもお客さんは来ませんでした。それで、玄関先に野菜や魚を持っていけば手っ取り早いと考え、行商を始めました。

 ――なぜ行商からスーパー経営に転じたのか。
 熊谷 昭和50年代に入り苫小牧に長崎屋、イトーヨーカ堂、ダイエーといった大手が進出し、町内の消費流出が激しくなりました。従来の掛け売り、配達の形態では、価格競争に勝てないと思い、正規販売のスーパーをやろうと思いました。
 1979年にオープンしましたが、最初は苦労しました。白老にスーパー形式の店は一軒もなく、売掛ができないことに対する反発
が強かった。そんな状況が半年くらい続きましたが、徐々に隣の虎杖浜や荻野から買いに来てくれるようになりました。
 82年に2号店を町内にオープン、84年には苫小牧にも出店しましたが、苫小牧は採算が合わず3年で閉店しました。その後、2店舗を統合、現在の場所に売り場面積280坪の店をオープンさせました。売上は07年8月期で約14億円。一日のお客さんは1200人。週末は2200人ほどです。

 ――消費者の視点に立った営業が特徴ですね。
 熊谷 わたしの商売の原点は行商なんです。行商は一人一人が相手で、ほしいものを持っていかないと買ってくれません。常にお客さんの視点に立って商品を持っていく必要がありました。行商の経験が役に立っています。

 ――高齢者向けの無料送迎バスを運行しています。
 熊谷 わたしが店を開業したのは23歳の時です。 当時、30歳だったお客さんは70歳、4歳の人は30歳になっています。今でもその人たちが買い物に来てくれていますが、「店に行きたいけど運転できない」、「自転車をこげなくなった」、「足が痛くて歩けない」との声を多くいただいたんです。わたしの原点のお客さんなので、何とかしないといけないと思った。そこで無料の買い物バスを始めました。

 ――家の前まで送迎していますね。
 熊谷 白老では福祉バスを走らせていますが、バスの停留所まで行けない人もいます。その人たちはどうするのか。何も手当もできていないのが現状だったので、家の前まで送ることにしました。ほかに、高齢者向けに無料配達もやっています。店まで健康のために歩いてきてもらい、帰りの荷物を家まで運ぶというサービスです。 ずぶの素人が、約4年間、白老で商売をやらせてもらってきた。恩返しという思いが強いです。

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熊谷威二社長(取材当時)

お客さんと一体となった店づくり

 ――売り場もユニークですね。入り口付近に、鮮魚と総菜コーナーがあります。
 熊谷 ここ数年、働きに出る主婦が増えました。仕事が終わり、4時か5時に帰宅する。今日の晩に何を食べるかを決めてくる人はほとんどいない。店に入って新鮮な肉があったらすき焼きにしようとか、安い魚があるから鍋にするといった感じです。
 だが、既存スーパーのレイアウトは、野菜コーナーからスタートし、肉と魚の売り場は店の奥にあります。当店では魚や肉を入り口付近に持ってきて、中央に野菜売り室設けています。
 これだと野菜売り場から真っすぐレジに向かうことができます。働いている主婦は、目的の食材を買っていち早く店から出たいわけですよ。またすしや弁当などは、それだけを買う目的で来るお客さんが多いので、総菜は入り口付近にあります。今までのお店は売り手目線のレイアウトだった。長くお店に滞在させて衝動買いを誘うものです。お客さんのことをあまり考えていない気がします。

 ――調理場がオープンになっていて、市場のような感覚です。社長自身も毎日売場に立っていますね。
 熊谷 田舎の店の場合、まるっきり知らない人が来ることはまずない。毎日、顔を合わせるお得意さんです。その点で、大切なことはお客さんとの会話です。オープンにして、会話しやすい雰囲気をつくりました。
 もう一つが、白老でも一人暮らしの高齢者の人が増えています。店に来て店員と会話することが楽しみなんです。商品を買うだけなら、あじけないと思います。営業時間も10時までです。札幌だと遅くまで営業できるが、田舎には人がいない。15年ほど前に閉店時間を8時から10時に変更しましたが、地方スーパーでは初めてだったと思います。

 ――地方スーパーが、生き残るために必要なことは。
 熊谷 地域のお客さんのことを一番知っているのは、地域の店なんです。 大手スーパーだと、かゆいところまで手が届かない。 地域に必要な店は必ずあります。そのためには、謙虚にお客さんの言う要望や意見を聞くことが大切です。お客さんと一体となって店を作っていかなければ生き残っていけない。白老のみなさんに必要とされるような存在であり続けたいですね。

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