【無料公開・独自】鈴木宗男独白60分!訪ロ5日間の舞台裏、維新と絶縁、次期衆院選…

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鈴木宗男氏

 鈴木宗男参院議員の電撃的なロシア訪問、そして日本維新の会の離党は、各方面に大きな波紋を広げた。維新と決別し、無所属となった鈴木氏が、胸の内を本誌だけに語り尽くした。(取材日=2023年10月28日)

私の処分、除名ありきの動きだった


 日本維新の会を離れて3週間ほど経過しました。ある種、維新の経験のなさ、あるいは短絡的な判断に感謝しています。
 民主主義はルールが守れてこそです。私の話も聞かないで処分、除名だというだけでも、共産党を批判できないですよ。
 維新の馬場伸幸代表は「共産党はなくてもいい政党だ」と言っています。気にくわないのは排除するというのは、同じではないでしょうか。
 いまや国会議員は幹部の言いなり、ゴマすり、イエスマンの集まりになっていると言われます。
 私は今年5月の連休中、ロシアに行こうとしました。この時、参議院議院運営員会では鈴木宗男のロシア訪問は許可する、としました。国会開会中は議運の許可が必要なんです。私は全党、全会派から許可をもらっているわけです。その時、藤田文武幹事長にこう言われました。
「国益を考えて、政治家として行動してほしい」と。 私は維新の役員会で、こう藤田幹事長に反論しました。
「お前の100倍、私は国益を考えて行動してきた。お前ごときに言われる筋合いではない」と。
 その後、本人は記者会見で発言について、謝りましたね。これだけでも経験のなさが露呈しています。
 閉会中は参議院に外国に行くスケジュールを提出すればいいだけです。そのため、参議院からは何も処分を受けません。閉会中に行くのに、どの筋合いで文句をつけているのでしょうか。
 9月29日にビザが下りました。慌てて参議院に届け出をして、その足で私の秘書が維新の事務局に行きました。すると、夕方で事務所は閉まっていました。金曜日の夜です。
 土日を挟んで10月1日月曜日の午前8時39分、秘書が事務局に行くと、「馬場代表と藤田幹事長に伝えます。問題ありません」というのが事務局の対応でした。
 私は10月1日中にモスクワに入っています。秘書が2日遅れでだした時間は、モスクワ時間で2日の午前2時39分です。もし、訪ロがダメだというのなら、私に電話をよこせば、日本に戻れるわけです。この段階で、まだ誰にも会ってませんから。
 10月2日と3日も維新からそういう連絡はありませんでした。ただ、モスクワにいて驚いたのは事務的な手続き遅れで、厳重処分だという報道が伝わってきました。今度は除名処分という話になった。おいおい、おかしいなと。
 たとえば、アントニオ猪木さんが維新所属議員時代、開会中に北朝鮮を訪問しました。当然、参議院の懲罰委員会にかかりました。その時の処分は30日間の登院資格停止です。維新は副幹事長だった猪木さんを役職停止50日としました。私の場合と比べて、均衡を欠いていませんか。鈴木の処分ありき、除名ありきで動いていたと思います。果たして民主的な政党なのでしょうか。そんな政党に私はいない方がいいと感じ始めました。  
 帰国後の10月5日、馬場代表と藤田幹事長に呼ばれました。私を処分するということです。10日16時、馬場、藤田両氏が処分を伝えに来るというので、私は法的措置を考え、弁護士を連れて行きました。
 これに2人は驚いていましたね。ここが頭づくり、知恵のだしどころなんです。あの場面を思い出してみてください。馬場、藤田の両氏は立ちあがっています。私だけ笑いながら座りました。一緒に立っていると五分に見られますから。テレビなどに映る印象はとても大事です。
 その後、馬場代表は記者団に「会場から出て行って」と告げるわけです。私はフルオープンでやったほうがいいと主張していました。会場にいた大勢のメディアのみなさんは面白くなかったはずです。
 その席で、私は離党することを伝えました。それに対して、維新内部から批判の声があがりました。その1人が猪瀬直樹氏です。都議会で5000万円がバックに入る、入らないの実演までした男です。私のことを批判できるのでしょうか。しかも、昨年の参院選でたったの4万4000票しか獲得していません。都知事までやっていてです。推して知るべしです。
 私は4年前の参院選、22万742票獲得しています。全国比例の議席枠は50人ですが、私の得票数は当選者の中で15番目です。どこの業界団体からの支援も受けていません。これは、どの政党でも議席を獲得できる得票数です。「鈴木宗男」と書いていただいたわけで、維新の力で当選したわけではありません。
 通常、比例区当選なら「党に議席を返せ」という話になるでしょう。しかし、維新の党本部からは、一切そうした要請はありません。それがすべてを証明しています。

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国政の維新は何も身を切っていない

 あわせて、私がロシアのメディア取材における「ウクライナは勝てない。ロシアが負けることはない」という発言についてです。
 初めてロシアで言ったならば、ロシアを利する形で使われたというのは、理屈としてはあるかもしれません。私はこれまで一貫して国内の講演、テレビ、新聞のインタビューでも、国力の差が歴然で、ウクライナは勝つことはないと言い続けてきました。
 加えて、戦争が長引けば犠牲になるのは、子供、女性、そしてお年寄りだと。先の大戦での日本の二の舞をさせてはいけないと訴えてきました。日本での発言を問題視しないで、ロシアではけしからんというのは、バランスを欠いていませんか。少なくとも「政治家・鈴木宗男」の認識で話をしていることにクレームをつけたら、国会議員は何も言えなくなります。
 馬場代表は共産党について、公の党の代表として、誰の許可を得て発言しているのでしょうか。自分は好き勝手言っておいて、鈴木はダメだというのは、辻褄が合わない考えです。
 約4年間在籍した私なりの維新の見方は次のようなものです。
 大阪府知事を務めた橋本徹氏、その後の松井一郎氏の頃、現実的に〝身を切る改革〟を行いました。これは評価していいと思います。たとえば、大阪府議会議員の定数を2割カット、報酬も3割削減するなど結果をだしました。あるいは、特殊法人をなくし、浮いた財源で、大阪は私立の小、中、高校まで、教育の無償化を実現しました。
 では、国会議員はどうなのか。口では身を切る改革を言っているけれども、本当になんの身を切っているのかと思います。
 国会議員からは、お金を党に上納させています。若い議員は大変です。そのお金を党として災害が起きれば寄付をします。個人で行えば公職選挙法違反に抵触します。どこに配るにしても公明正大な議論は果たされていません。幹部の思いつき、手を上げたところに内々でまわしている印象です。言っていることとやっていることが全然違います。

北方領土墓参の実現で一定の成果 

ここからは訪ロ5日間(10月1日~5日)の舞台裏を明かします。
 最初にグラジエフさんという、ユーラシア経済共同体の責任者に会いました。
ロシアを中心とした経済のブロック化を図る上で、プーチン大統領のアドバイザーです。大統領選挙にも出た実績のある方です。
 この方にロシア経済の実態を聞いたら、「今年も2%強の経済成長率だ。ロシア経済は安定している。そして、よく西側の報道でモノがないとか、食糧品が不足していると言うが、どうぞ鈴木先生、街中を見てください。十分にモノがあります」とおっしゃいました。 
 私もモスクワ市内を視察しましたが、食べ物は十分にあり、レストランも混み合っていました。見ると聞くとでは大違いだと感じました。
 その次にルデンコさんという外務次官に会いました。アジア担当、日本担当になります。北方領土元島民の墓参実現を嘆願しました。
 私は根室、羅臼を頻繁にまわっています。元島民の皆さんが私の顔を見たら、「先生、元気なうちにもう1回、先祖の墓をお参りしたいんです。もう1回、ふるさとを見たいんです」と涙を流しながら、切実に訴えてきます。
 元島民は1万7291人が引き揚げてきて、ご存命なのは5228人です。しかも、平均年齢は88・2歳です。もう人生限られていますよ。ロシア側にそうした思いを、誰かが伝えなければならない。訪ロを決意した理由の1つです。 
 ルデンコさんは私にこう言いました。
「86年の墓参の枠組みは残っている。日本外務省から正式に要請があれば、ロシアとしては検討します」
 私の処分問題であまり触れられていませんが、大変良かったと思っています。 あと、漁業の安全操業が止まっています。サケ・マス交渉の日程もはっきりしません。根室、羅臼、別海、標津の漁業関係者は困っています。なんとか漁が再開できるように、早く交渉のテーブルにつけるようにお願いしました。
 ルデンコさんの回答はこうでした。
「鈴木先生が提案した安全操業のルールがあります。これは94年、羽田内閣の時、ロシアの領海に入って、漁民が魚を取る仕組みです。これは鈴木先生が提案した制度だけれども、その前提は両国の友好関係があっての話です。今回、日本が我々を一方的に制裁してきました。こういう状況では呑めません」
 日本はいま、アメリカに引きずられています。あの14年のクリミア問題の時、日本は制裁に参加しませんでした。ロシアとしては安倍晋三前総理ができたことを、いまの政権はなぜできないのか、という認識です。日本の外務省がしっかり方向を変えれば動く話だと、私は感じました。

停戦の障壁となるウクライナの国内法 

次に面会したのはガルージン中央アジア担当、ウクライナ担当外務次官です。昨年11月まで駐日大使を務めていました。モスクワでテレビのニュースを見たら毎日、ラブロフ外務大臣の横で、ガルージンさんが映っています。
 私はガルージンさんに「一にも二にも停戦だ」と訴えました。
 ガルージンさんはこう言いました。
「昨年4月15日、われわれはウクライナの停戦案に署名しようと思いました。ところが署名しようとした日にウクライナは取り下げました。アメリカ、イギリスなどの西側の圧力があったと思います。ゼレンスキー大統領ひとりでは判断できない状況だと思いました。われわれは平和を望んでいます。戦争はしたくありません。なぜ、戦争になったのかを考えてもらいたい。『ミンスク2』は自分が署名していないから守らないというのが、ゼレンスキー大統領じゃないですか」
「あるいは、昨年の2月19日、ヨーロッパ安全保障会議で、ゼレンスキー大統領はオンラインで参加しました。『ブダペスト覚書』の再協議を言いました。91年にソ連が崩壊し、核はウクライナにありました。ウクライナでは核を管理できない。結論はロシアがソ連の継承国なので、核も受け継ぐというのがブダペスト覚書です。これはアメリカ、イギリス、カザフスタン、ベラルーシ、当事国のロシア、ウクライナも入った国際約束です。それをゼレンスキー大統領は再協議だと言う。裏を返せば核をウクライナに戻せという話だ。プーチン大統領はそれは受け入れられません。鈴木先生の隣のうちが、ある日突然銃口を構えた。黙っていられますか。その点、よくご理解ください」
 さらにガルージンさんは、私も知らなかった次のような興味深い指摘もしました。
「昨年10月4日、ゼレンスキー大統領はプーチン大統領と停戦交渉はしないという法令に自ら署名しました。ウクライナの法律でそうなっています。ゼレンスキー大統領が法案を変えない限り、話し合いに持って来られないのです」
 こうしたウクライナの国内政治は、日本の人たちの多くも知らないのではないでしょうか。
 それに対して、私はこう返答しました。
「1945年、日本が半年早く降伏していれば、東京大空襲もなかった。沖縄戦もなかった。いわんや、広島、長崎に核が落とされることはなかったんです。私はウクライナに日本の二の舞になってほしくない。あってはならないことだと思っています。だから停戦なんです」

仲介役としての一歩を切り出すべき

 経緯を聞けばロシアにはロシアの言い分があります。紛争は両方に言い分があるんです。先の大戦でも日本が戦争を仕掛けました。アメリカ、イギリスの日本包囲網があったから、戦争に出るしかなかったのでしょう。
 ゼレンスキー大統領が一昨年の10月23日、ロシア人が住んでいる地域に自爆ドローンを飛ばしました。挑発です。バイデンアメリカ大統領は攻めるぞ、攻めるぞと煽る。そして昨年2月のウクライナに核を戻せという話につながるわけです。
 勉強をしていない政治家が多すぎます。メディアもそうです。ブダペスト覚書を知らない人やミンスク2がなんであったかも知らないのです。ただ、ロシアはけしからん、ウクライナが正しい。そんな単純な問題ではないということです。
 だからこそ、誰かが仲介に入り、収めなければなりません。日本は安保理非常任理事国になっているわけですから、ここは停戦だと言って、両国をテーブルにつかせるのが真っ当な外交だと思います。G7のメンバーで武器をウクライナに送っていないのは日本だけです。そのほかの国は中に入る資格がありません。インドはG20の議長国で、武器を送っていません。中国も停戦案を出したり、ロシアに武器を供与していません。ブラジルのルーラ大統領も広島サミットの際、ゼレンスキー大統領に会いませんでした。こうした国々が協力し、そこに国連も加えて停戦に向けて大きな一歩を切り出して欲しいです。
 10月6日、各国のロシア専門家、報道関係者の集まりである「バルダイ会議」がソチで開かれました。
プーチン大統領に笹川平和財団の畔蒜泰助主任研究員が、「いま、日本とロシアの関係は戦後最悪。どうなるか心配だ」という趣旨の質問をしました。
 プーチン大統領はこう回答しました。
「われわれは日本に対して、何もしていない。経済制裁をしてきたのは日本ではないのか。その日本が対話の窓を開けて欲しい。機会をつくってくれと言ってくるならば、われわれは窓を開ける用意がある」
 外務次官といえば、プーチン大統領に直接アクセスできます。私はコサチョフという統一ロシアの幹部とも会いました。いまはロシアの上院にあたる連邦院の副議長です。わたしは20年来の友人ですから。ロシアの上院は別格に力を持っています。
 また、連邦院のカラーシン国際問題委員長にも面会しています。日本でいう外務委員長です。サハリン州、北方四島が選挙区です。外務省の次官経験者です。
 バルダイ会議でのプーチン大統領の発言だけでも、ロシアに行った意義があったと考えています。
 私はロシアの要人たちにこう伝えています。
「岸田総理はG7の議長国。それゆえに話をまとめる場合、アメリカ、イギリスなどからさまざまな声を聞かなければならない。まとめ役は数の論理にどうしても引きずられてしまう。そうした岸田総理の立場も理解してほしい」と。
 訪ロ5日間の詳しいやりとりは、日本を代表するしかるべき人に話しています。いまはまだ申し上げられませんが、今後についてもしっかりと打ち合わせも行っています。

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自民党と公になった選挙協力を結ぶ

 最後に次期衆院選の話です。道内12選挙区のうち、自民・公明の個々の候補者からすでに選挙応援を頼まれています。10区はいち早く、公明党の稲津久衆院議員に推薦をだしました。
 中村裕之自民党道連会長からも、「とにかく自民党候補をよろしくお願いします」と言われています。
 新党大地として、いずれ自民党と公にした、形になった選挙協力の手法をとりたいと考えています。密室でというイメージは避け、堂々とオープンで、自公候補を応援していきます。
 私の支援者はある種、〝鈴木教〟みたいなものです。普通、逮捕されたらみんな逃げますよ。さらに刑務所に入ったら、サヨナラという人が多いですから。
 松山千春さん見てください。佐藤優さん見てください。「死ぬまで鈴木宗男だ」と言ってくれる人たちが大勢います。実は維新から離れた鈴木宗男をみて、「新党大地の原点に戻れてよかった」と、支援者から激励されました。
 私は以前よりも影響力、存在感を示せます。鈴木宗男としてその責任を果たしていきます。
 維新所属の衆院候補、地方議員には離党後、「今後の身の振り方は自分で判断しなさい」と伝えました。
 維新は道内全区に候補を擁立する方針を打ち出しています。私から言わせれば、絵に描いた餅です。維新に残った政治家たちに何ができるかです。維新には身の程知らずが多いですから。
 古くから知っている人たちは、みなさん理解していますよ。 

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