水島廣雄 そごう百貨店社長【1977年2月号】

©財界さっぽろ

写真左が水島廣雄氏

札幌駅前の顔は泥だらけ、きれいに洗って化粧をする

「九州と四国を合わせたよりも大きい北海道は、これからの人間のすみかとして残された唯一の大資源です。終戦直後、人口20万人くらいの街だった札幌に約130万人という人が集まって来たという。この現実を踏まえた可能性を追求したかったのです」
 1978年秋、道内初の駅ビルとして、札幌駅南口に札幌ターミナルビルが開業。キーテナントとして入居するのがそごう百貨店だった。本誌はその前年、そごう百貨店社長・水島廣雄を直撃。冒頭のように、北海道初出店にかける決意を明かしていた。
 水島は高度成長期からバブル期にかけて、国内だけで30店舗あまりの店舗網を構築。日本一の百貨店グループを築き上げ〝デパート王〟として名をはせた。
 札幌そごうは第8号店。売り場の総床面積は東北以北で最大級の規模だった。
 水島がインタビューで強調したのが、札幌駅周辺の開発だった。
「私は北海道の財界に向かって言っていることは、駅前の整備です。まだ顔は泥だらけです。あれをきれいに洗って顔に化粧をしなければだめです。いまから北海道の財界人が、いわゆる本州の財界と手を握って大きく駅前を開発することです。札幌は見違えるようになると思います」
 大衆を取り込んで我が世の春を謳歌した水島だが、2000年7月に民事再生法の適用を申請。同年12月に札幌そごうは閉店した。
 その後、水島は01年に強制執行妨害容疑で逮捕され、有罪判決を受ける。14年に102歳で死去。波瀾万丈という言葉では語り尽くせない、激動の人生を歩んだ。
 現在、「そごう・西武」が残された店舗を運営。セブン&アイ・ホールディングス傘下に入っているが、今年に入り売却を検討しているとみられている。

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