町村金五 北海道知事【1965年7月号】
子孫のため、北海道の自然美を自らの手で仕上げる
1968年、北海道は開道100年を迎えた。その3年前の65年、道知事だった町村金五は本誌のインタビューに応じていた。
町村は富山県の官選知事を務め、59年に道知事に就任していた。当初、1期での退任を決意していたが、周囲の期待に応え、63年に再選を果たしていた。
取材時、道庁新庁舎の着工が翌年に控えており、30数億円という巨額が投じられた。
町村は「できるなら北海道のシンボルにしたい。道内業者に力があるのであれば、やってもらうことが、建物の性格上、私は意義があるんじゃないかと思います」と意欲を示していた。
経済政策については、伸び悩む輸出への率直な思いを口にしていた。
「北海道で生産されるものが、海外に広く輸出されるということは、輸出王国日本としては絶対に大事なことだと思います。北海道がよく5%経済といわれておるのに、貿易に関しては2%ということは、やっぱり経済の後進性を端的に物語るものだと私は思います」
当時、新たな産業として観光がクローズアップされていた頃。町村はいまの時代に通ずる言葉を残している。
「北海道の優れた観光資源といえば、自然の景観ということになると思います。北海道としては自然の景観というものが主となるわけでしょうから、この自然の景観を大事にしていかなければならないのです。そこで観光業者に望みたいことは、自分らの一代だけではないんだから、子孫のために、この自然の景観を自らの手によって、よりよきものに仕上げていくような心意気で、やっていただきたいと思います」
また、町村は政治家の理想像について「国民の信を常に高くつないでいくことをモットーにしなければならない」と語っていた。