田中角栄 大蔵大臣【1965年4月号】
均衡投資の時代へ、もっとたくましく国に要求すべきだ!
「私は新潟のサケは食わない。北海道のサケを食うんですよ。しかも塩を洗ったり、そうしないで薄く切ってね。北海道のサケで年取りをする。弁当の中に入れても、塩がジーンと飯の上に広がってきたところなどは、これはバカうまいもんですよ」
北海道のサケをベタ褒めしたのが、出世街道をひた走っていた大蔵大臣の田中角栄だった。
田中は北海道に故郷と重ね合わせ、思いを寄せていた。
「北海道に対しては、わが郷土のような気持ちでね。われわれの先祖のつくった米が、ずっと北海道に行っていたんです。札幌の丸井百貨店なども新潟県人だし、室蘭の栗林とか、北海道全島に県人が散らばっています。そんなことで非常に親しい感じを持っている」
実は田中の父親は、牧場を経営しており、札幌・月寒の牧場を管理していたこともあった。昭和初期、ホルスタインを輸入したのも田中の父親だったという。
そのため、田中は「将来政治家になろうとかではなくて、北海道で牧場をやりたいという夢を持っていた」と明かしている。
田中はインタビューで、「観光で北海道が立とうしたら間違いだ」と指摘し、人を定着させることの重要性を説いていた。
「土地、水、それから労働力。その労働力も堅実な労働力です。精神がしゃんとしている労働力というものをね。これがこれからの発展の基礎です」
その上で、「北海道はもっとたくましく国に要求すべきだ」と大いにハッパをかけた。
田中は後の「日本列島改造論」にもつながる言葉を発していた。
「東京、大阪に投資することが効率投資であるというような財政理論は、根本的に変わってきたんです。それは、いかにして土地を開発し、人を定着させて、国内均衡をはかり、均衡ある国内発展をはかるのか。東京のオリンピック道路一本を北海道に持ってくれば、北海道の半分の道路は完全舗装できますよ。そういうことが、いかに新しい意味における効率投資かということを、考えなきゃならんですよ」