松尾静麿 日本航空社長【1964年10月号】

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写真左が松尾静麿氏

道民は宣伝ベタ、夏だけの北海道であってはならん!

 松尾静麿は「戦後の日本航空業界の父」と称される大物。
 戦前、松尾は航空機メーカーに入社し、航空エンジンの設計を担当。逓信省に入り、航空に関わる業務に携わった。
 戦後、GHQにより日本は、航空機の開発・製造、所有が禁止された。1950年、松尾は航空保安庁長官に就任。「日本人の手に日本の空を取り戻したい」と強い信念を持ち、GHQと粘り強い交渉を重ねる。そして51年の日本航空設立に尽力した。松尾自身は専務、副社長を経て、61年に同社の社長に就任した。
 そんな松尾が遺した有名な言葉ある。
「臆病者と呼ばれる勇気を持て」。航空機は安全航行こそ最大の使命であり、責任である、という思いが込められている。
 そんな松尾は社長就任から3年後、本誌の誌面を飾った。
 松尾は道内の観光事業者に苦言を呈した。
「夏だけの北海道であってはならん。本当は『冬の北海道』でしょう。ところが北海道の人というのは、人がいいのか、何かしらんが、宣伝がヘタでね。国内では、温泉場というと熱海、伊東、湯河原といえば、宣伝が行き届いているが、北海道の温泉は、あれだけの湯量があって、あれだけの観光資源に恵まれていながら、ちっとも実のある宣伝をしておらん。冬の北海道に対する宣伝もその通りで、これは残念なことだと思います」
 松尾は空港の官民併用に対する強硬な批判論者だった。インタビューでは、その理由にも触れている。
「航空界に職を奉ずる人間が一番先に考えなければならないのは、いかにして安全運航を図るかと言うことです。考えてご覧なさい。マッハ2とかいう超スピードのジェット機がぶんぶん飛び回っているところに、お客様を乗せた旅客機が発着している。もし何らかの手違いで衝突したらどうなります」
 そのため、松尾は千歳以外に、札幌近郊に民間航空専用の空港の必要性を説いていた。

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