【独自・無料公開】日テレ支配の果てに経営統合……独立独歩だったSTVが経営主導権を失った2010年「クーデター失敗」の一部始終【後編】

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鈴木輝志STV元会長(左)と氏家齊一郞日本テレビ元会長

 日本のテレビ業界に激震が走った、日本テレビ系列4社の経営統合発表。その1社である札幌テレビ放送(STV)は長らく独立独歩の経営だったものの、ある時期を境に日テレ支配を許し、今日に至っている。月刊財界さっぽろではその“決定的瞬間”の一部始終をかつて報じていた。以下、後編として当時の記事をもとに再掲する。肩書や数値などについては2010年6月当時のまま。

“日テレ系列から離脱も辞さない”

 その時、STV会長・鈴木輝志氏の足は震えていたという。4月下旬、日テレ本社に乗り込んだ鈴木氏は、日本テレビ会長の氏家齊一郎氏と向かい合っていた。

「(STVの)島田洋一社長と三山秀昭専務に今期で退任してもらいたい。役員の意志は一致している」

 鈴木氏は氏家氏にそう迫ったという。島田氏と三山氏は、氏家氏が送り込んだ、いわば子飼いの役員。鈴木氏がキー局に対して反旗を翻した瞬間だった。

「鈴木さんは日テレ系列からの離脱も辞さないと言い放った。STVを通じて系列各局が生中継する札幌国際ハーフマラソンの放送中止も画策したと聞いている」(マスコミ関係者)

 さらに鈴木氏は氏家氏に対し「フジテレビと話がついている」と、ハッタリで脅しをかけた。ただ、このブラフにどれほどの効力があったかは疑問だ。

 日テレはSTVの筆頭株主。関連団体や読売などの親密企業の持ち分を合わせると、重要事項の拒否権を発動できる33・4%を超える。また、道内にはすでにフジテレビ系列のUHBがあり、STVがくら替えできる可能性はゼロに近い。

 鈴木氏の「反乱宣言」を受け、氏家氏はすぐに島田氏へ“鎮圧”を指示した。日テレ側は副社長の舟橋隆治氏を始めとしたプロバー役員の抱き込みに走った。

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島田洋一STV元会長

 一方の鈴木氏はXデーに設定した5月21日の決算役員会に向け、隠密作戦に出る。

「鈴木会長が日テレに乗り込んだことは一部の役員しか知らなかったし、かんロ令が徹底されていた。4月下旬から鈴木会長が会社に顔を出さなくなっていたが、持病のある鈴木会長は例年、ゴールデンウィークや年末年始に秋田の玉川温泉に湯治に出かけていたので、誰も不思議に思わなかった。ところが実際は、鈴木会長は札幌市内のホテルにこもり、プロパー役員を一人ひとり呼び出して忠誠を誓わせ、連判状に判を押させていた」(STV関係者)

 同時並行で株主対策も進められていた。鈴木氏は側近で常務の小林純氏を使い、北海道電力などの大株主の同意を集めようとした。それに対して日テレ側も対抗手段を講じたようだ。ともかく最終的には北電や北洋銀行、北海道銀行といった大株主はどちらにも同調せず、中立の姿勢を貫くことに落ち着いた。株主の関係者はこう語る。

「大株主でキー局の日テレと対立したままでは、STVの経営がうまくいかなくなるのは明らか。最初は鈴木会長に従ったプロパー役員たちも次第に日テレ側になびいていった」

 身内が次々と離反していくなか、鈴木会長もある時点でクーデターの失敗を悟る。最後はあるプロパー役員が鈴木会長に翻意を促したとされる。

 5月21日、氏家氏も出席した決算役員会で鈴木氏の退任、島田氏、三山氏の留任が内定した。日テレと氏家氏の文字通り、完全勝利である。

最後は自分が粛清されてしまった

 なぜ鈴木氏はクーデターを起こしたのか。当時の本誌記事では「今期で自分はクビを切られるかもしれない」と危機感を抱き、急きょ勝負に出たのでは、と推測しているが、今もって定かではない。

 ただ、伊坂氏やその懐刀として権勢をふるったことが伝わる鈴木氏は、独裁体制維持のためにイエスマンを重用する“恐怖政治”を長年行ってきたとも伝わる。当時の社内には閉塞感が漂い、STVを去る者も多かったのだ、と。スピカ事業で抱えた赤字が日テレに主導権を渡したオモテの理由だとすれば、権力の腐敗に対してむしろプロパー社員側から現体制を打破したいという思いが下地にあったのでは、との指摘もある。

 後日談として、鈴木氏はこの決算役員会で最高顧問に退いた。翌年の役員人事では複数のプロパー出身者が入れ替わり、それを日テレ側の「粛清」とみる向きもあった。

 当時の日テレ関係者は「社員への粛清を続けてきた鈴木さんは、最後には自らが日テレに粛清されてしまった」と評したという。

 クーデター以来、プロパー出身社長は1人も出ていないまま来年4月、STVは経営統合を迎える。

※前編はコチラ

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