【無料公開】ヴァンフォーレ甲府で頂点に!吉田達磨氏が明かす天皇杯優勝秘話と自身の今後【コンサドーレ特集】

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砂川誠さん(左)と吉田達磨さん

天皇杯でのコンサ試合では「もっとメンバー落として」

砂川 : 今回は2022年シーズンにJ2ヴァンフォーレ甲府監督を務め、天皇杯優勝を為し遂げた吉田達磨さんをお招きしました。自分が新人として柏レイソルに加入した1996年の1年間、一緒にプレーした先輩で、大変お世話になりました。
 さて、まず伺いたかったんですけど、天皇杯決勝の時点(10月16日)で退任は決まっていたんですか?

吉田 : その2日前にフロントと話をしたんだけど、そこで退任が極まって。決勝が終わるまで、選手には知らせていなかったよ。

砂川 : 天皇杯優勝チームはアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を戦いますよね。指揮を取りたかったんじゃないですか?

吉田 : ACLの経験は柏で監督をしていた時(15年シーズン)に一度あるのと、柏の強化部にいた当時は、監督のネルシーニョ(当時)のもとでトップチームのサポートもしていて。ただクラブの考え方もあるので、俺が言っても仕方ないよ。

砂川 : ACLを経験している監督がそれほど多いわけではないし、もったいないなと。

吉田 : 自分としては(甲府の監督として)やることはやったというか、やり尽くしたという気持ちがあって。リーグの成績は伴わなかった(J2リーグ18位)けど、いいチームがつくれたと思っているし、チームの完成度も監督としてこれまで手がけた中で一番よかった。手応えもあった。だからこそACLも含めて心残りがあったけど、ただすっきりとした気持ち。

砂川 : 3回戦ではコンサと対戦(6月22日)したんですよね。すいません、試合を見られていないんですけど……

吉田 : えー!(笑)

砂川 : コンサはどんな印象でしたか?

吉田 : コンサは半分以上、次のリーグ戦に備えて選手を入れ替えていたと思う。でも俺たちからしたら、もっと替えて(メンバー落としてよ)というね。

砂川 : (笑)。その時点で、コンサは残留争いに巻き込まれ気味(第17節現在で降格圏まで勝ち点差4の11位)でした。そこでコンサに2対1で勝ち、サガン鳥栖、アビスパ福岡、鹿島アントラーズ、そして決勝でサンフレッチェ広島にPK戦で勝利。J1のチームを5連続で破って優勝されました。リーグ戦とは戦い方を変えて戦ったんですか?

吉田 : それほど普段と違う戦い方をしたつもりはないね。延長戦があることを意識したくらい。勝つための戦い方をしよう、という意味では決勝戦だけ。当たって砕けろ、ではなく勝つためにどうするかを考えたから。

砂川 : 天皇杯って、J1チームはトーナメントの上のほうに行くまでレギュラー格の選手を温存することが多いんで、戦い方が難しい。僕はヤンツーさん(柳下正明監督)のころに選手としてベスト4まで経験したんですが(06年、準決勝でガンバ大阪に1対2で敗戦)、ほぼフルメンバーでした。もちろん、レギュラー選手を替えることで普段出ていない選手にとってはチャンスになるんで、そこは監督の考え方もあると思って。

吉田 : 3回戦くらいまではリーグ戦と連戦になるから、サブの選手がそこで出られないとガックリしてしまうこともある。それに、メンバーを替えても勝てればいいけど、負けてしまえば元も子もないから。

砂川 : どのあたりから優勝を意識されましたか?

吉田 : 準々決勝(9月7日)の福岡戦の時点で、J1昇格のプレーオフ圏内はまだ狙えたけど、クラブの規模として選手の質を2チーム分そろえられていなかった。すべてベストメンバーで臨むのは難しいんで、ここで勝負を賭けようと思ってフルメンバーで戦ったのが福岡戦。そこでしぶとく勝ったんだけど、中2日空いたリーグ戦がボロボロ(大宮アルティージャに0対3で敗戦)。リーグ選にそこから6連敗してしまった。そこから先は天皇杯に照準を絞っていって。頂点目指してみようとなったんだよ。

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砂川 誠
(すなかわ・まこと)
1977年千葉県生まれ。2003〜15年までコンサドーレ札幌にチーム最長(当時)の13年在籍。小野伸二選手とともに指導するSuna×Shinjiサッカースクール(公式Web:http://sunashinji.com)の運営、コンサのアドバイザリースタッフのほかコンサユース・U-18コーチを歴任し23年シーズンからトップチームコーチに就任。
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吉田 達磨
(よしだ・たつま)
1974年埼玉県出身。日立製作所ジュニアユースから東海大浦安高校を経て、1993年に柏レイソルへ加入。京都サンガ、モンテディオ山形、2002年にはシンガポールでもプレーし同年限りで引退。古巣の柏でアカデミーコーチとなり、U-15、U-18監督を経て15年にトップチーム監督に。その後アルビレックス新潟、ヴァンフォーレ甲府、19〜21年にはシンガポール代表監督を歴任。22年シーズンは再び甲府で指揮を執り、天皇杯でJ1チームを5連続で破るなど快進撃の末、優勝を果たした。

いずれ育成の現場に戻るために、もっと経験を

砂川 : 年が明けて、次の予定は。

吉田 : そろそろ決めないけないんだけどね。もうこの時点だからJリーグのどこかで監督をということはないけど、しばらく監督は続けたいと思っていて。トップの世界、プロの世界で。

砂川 : いずれ育成に戻られるんですか?

吉田 : 将来的には。そのためにもということではないけど、もっと経験を積んでいきたい。トップチームの監督をやっていると辛いことはあって、心にも傷がつくんだよ(苦笑)。もちろん良いこともあるよ。続けていくことで、自分のかかわった選手がどんどん増えていく。自分のやってきたことを、いいと思ってくれる選手が増えれば増えるほど、人の輪が生まれる。それをどんどん積み上げていった上で、最後、まだ自分のエネルギーがあるうちにまた育成にかかわることができたらと思って。シンガポール代表で監督をしたけど、機会があればまた海外でも監督をやってみたいなと。

砂川 : 日本のS級ライセンスでできるところもありますよね。

吉田 : ヨーロッパはダメだけど、アジア圏内は大丈夫。

砂川 : そう考えると、できるところは広いですね。

吉田 : そうだね。可能性はいろいろあると思う。

砂川 : 選手としてもシンガポールでプレーされてますし。俺は勇気がなかったから。体もケガでついて来られなかったんですけど。

吉田 : 一度でも行っておくと、また行く時のハードルは下がるから。

砂川 : でも英語は必要になりますよね?

吉田 : 仕事で行ってるから、それなりに話せるよ!

砂川 : (笑)。東南アジアは経験しておきたかったな。長くできたのはよかったけど。

吉田 : 自分が“ガイジン”をやれたのは、すごく良い経験だった。サッカー以外に海外で仕事ができるチャンスって俺たちはほとんどないから。

砂川 : ぜひ、海外を含めもっとさまざまな可能性を見せていただければと思います!

 1月13日午前9時に財さつJPで公開する月刊財界さっぽろ2023年2月号北海道コンサドーレ札幌特集「“壁”を乗り越えた先に」内の本編では、柏レイソルの育成部門を日本屈指の組織に育てた吉田さんが、選手育成とプロチームとしての勝利の狭間での苦悩や折り合いの付け方を砂川さんと大いに語っています。ほかにもコンサ代表取締役三上大勝ゼネラル・マネジャーインタビューなど盛りだくさんの内容ですので、どうぞご覧ください。

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